会社員が昇進を嫌がる理由を自分を通して考える。最近の若者が求める職場とは?

コラム

 

こんばんは、カワハギです。

 

最近、職場にて昇進し責任が増えて気が滅入っているカワハギです。

昇進と言えば聞こえが良いですが、

本人の能力や体力が上がる訳でもないのに

責任が増える事はとてもメンタルがしんどいです。

 

 

でも、改めて考えると

なんでこんなに私は滅入っているんでしょうか?

人がイヤ、責任がイヤ、そもそもこの職業がイヤ

だけど、今となっては仕事をする事自体がイヤなモードになっている次第です。

もっと言えば、

同じ職場で頑張っている上司も偉いと思えるし

テレビで見る、プロフェッショナルで能動的に仕事している人もメンタルがすごいと思えますよ、ええ。




任せられるとは何なのか

 

仮に今いる部署をA課だとすると、

そもそもA課は私に向いていない。

A課は現場職であり、その日何がどれだけの量獲れるか来わからない生鮮食品を

その日の内に捌かねばならない。

その際に、トラックや氷、函の手配や業者の相手や荷受け作業などなど

わかりづらい情報を取得して、その大量の情報をいち早く捌く能力が必要なのだが。

 

そんな能力は無え!

ただ、ただ要所を押えているだけで、見極めや判断能力が高い訳ではない。

では、なぜ、私なのかと言えば、

真面目であるからである。

 

 

 

私の元上司が、社長に

「カワハギに役職をつけて現場を仕切らせていいと思うか?」と聞かれ

「大丈夫と思います」と答えた、という話を聞かされたんだけど。

 

その大丈夫か?というのはおそらく

能力的に大丈夫か?というより

責任を持たせて逃げ出さないか?という確認であったのではないかと感じるのだ。

もちろん仕事をこなす事も大事なのだが、

上からすれば今後の事業計画などに支障をきたさないよう辞めないで職務を全うできるのか?が重要視されているのだと思う。

 

昇進(意図しない異動)を受け入れる心理

 

『進撃の巨人』という漫画にハンジさんというキャラがいる。

ハンジは物語の中盤で、サネスに拷問するシーンがある。

サネスはその当時の政治体制の正義を遂行していたのだが、

主人公側の調査兵団という新しい政治勢力の正義に拷問を受ける。

彼から

「こういう役には順番がある」

「自分が正しい事をやってきたつもりでも時代が変われば牢屋の中」

と言われる。

正しいと思ってやって来た事も、次の代から見れば悪しき旧体制と解釈され、断罪される。

そして、物語の終盤、ハンジたち調査兵団の勢力に、反対する別の正義が表れる。

誰の正義も間違いではなく、望まない戦闘が起こる。

結局ハンジは作品の最後で、この『順番』の呪いと責任を負い、巨人から仲間を逃がす為の囮になって殉職する。

 

まあ、この作品のように大仰ではないんだけど、自分も

その課のトップという役職が与えらた事に対して

「ああ、順番がまわってきたのか」

と感じたのも事実である。

 

上場企業であれば、昇進は望んでするものであろうが。

 

 

 

地方職場に置いて昇進は『意図しない異動』であり、順番なのである。

損な役回りとわかっていても、誰かがやらねばならない。

 

例えば、地方に住んでいれば、

「体育推進委員をしてくれ」とか

「地区班長をしてくれ」とか

「民生員をしてくれ」とか

こういった地方自治を維持する為の「役回り」が年功序列でやってくる。

いわば、その地域に住んでいる税金だと思っている。

 

回ってきた役割に対し、

「俺はガラじゃない」とか

「あいつは年上なのにまだしてない」とか

言って断る人もいる。

 

実はそういう地域住民の役割でさえ

誰でも出来るのだけれども、誰でもはできない事なのだ。

能力の高い低い、仕事が早い遅いでなく、

最後まで『やれる』のか?

責任を負わせられる人間性なのか?

 

なのだ。

そりゃあ、能力は高い方がいいし、スキルもあった方がいい。

だけど、大事なのは、ほっぽりださない事であるのだ。

だがそれは、残りの自分の人生を、ほぼほぼそれに費やするという事なのだ。

 

ただ、その性質は長所と感じるのは難しい時代になってしまった。

「そんな働き方、あなた損ですよ。馬鹿みたい」

とカシコイ人から笑われたり、迷惑がられたりするからである。

なんとも世知辛い。

 

 

独身(フリー)の意味論

 

この先おそらくこの会社では、

年功序列で上の役職になり、組織の長になる運命なのだろう。

それは、職業を最後まで保証されていると解釈すれば喜ばしい事なのだが、

俺はそれを望んでいたのだろうか?と最近よく考えるのだ。

 

話は飛躍するが

30代を過ぎて同世代の友人や親戚だちが次々と結婚する機会が多くなって考える。

『俺は、何のために独身なんだろう』と。



 

いや、結婚がしたくて恋愛が上手くいかなくての独身であるならば、

何のために独身?というのはおこがましい表現ではあるが、

私は元々、誰かと付き合いたいという気持ちが薄すぎる人間である。

最近分かったが、こういう傾向の人を「回避性」と言うらしい。

彼女を欲しいと思った事がなかった。

というか、時間が取られるくらいなら

一人の時間を過ごしたいし、遊ぶのであれば友人がいいと思っていた

性的な欲求はインターネットでどうにかなるし。

 

 

 

そういった恵まれた(?)状況が恋愛を遠のけたのだが

しかし、それは何かを望んでいて恋人や結婚というしがらみから逃げたがっていたと思えてならないのだ。

 

俺は一体なんの為に独身(フリー)なんだろう?

それは、人生の転機を受け入れやすくして、

機会があれば違うことができるよう、違う場所に行けるようにする為なんじゃないかと思う。

 

そう考えると、広い意味では自分でも意図しない転機が欲しかったのだろう。

しかし転機というのなら、この昇進が転機ではないか。

 

実際、そう捉えようとしている自分もいる。

だが、この昇進という名の転機は、自由にきっかけではなく

反対に地域や会社組織のしがらみが密になる転機である。

俺は、それがイヤなのだ。

女性と密に関わるのがイヤならば

仕事で会社と密につながるのもイヤなのだ。

だが、好きな人や好きな仕事で密な関係になるものもおそらくイヤに感じるだろう。

俺は、広く浅くは好きだが、密なつながりは苦手なのだ。

密になると、しがらみや拘束を感じ、理由も無いのに元気が無くなってくる。

元気がないのは、先の人生まで拘束されてしまった感があるからだ。

それでも、みんなはそうやって生きているのだからそこは辛抱のしどころなのだろうが、

それは同時に自分が元気のない状態に慣れるという恐ろしい事なのではないか、とも考えるのだ。

 

本来の自分(元気な状態)で働きたい、という願望

 

そんなもの、どこ行ったって根本的に自分次第じゃねえか!

というのが正論ではあるのだが、

どうしたって考えてしまう。

 

職務を全うする事は自分のしたくない事にも、

我慢してポーカーフェイスで遂行することである。

それでも、みんなが通る道。

したくない事はしないで、したい事で役に立てばいいじゃん、という意見も多いだろうが

それで発生する会社利益が一般社員とどんぐりの背比べなら我儘である意味がない。

それなら、人も迷惑にならない、人に迷惑をかけない仕事具合がいいのではないか。

 

頭はリベラルなのに、身体は保守的である。

 

このまま、順当に役職を登るのが流れなのだろう。

だが、それは順番だからやるのであって

自分がしたいからするわけではない。

では、自分が元気な状態で仕事をする事はもうできないのであろうか?

そりゃあ、元気かどうかは自分次第なのだろうが。

 

私は今後40代50代60代70代となった時

果たして『元気』で過ごしているのであろうか?

 

 

『順番』を受け入れて死んだハンジさんに思いを馳せて考えたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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