アニメ『プラネテス』を久しぶりに見たらノノちゃんがやたら可愛く見えた、と言う話

ひょんな時に、

久しぶりにプラネテス(ΠΛΑΝΗΤΕΣPLANETES)を見た。

漫画じゃなくて、アニメの方だ。

 

当時の空気感とか、世の中に対する見え方を思い出して

なんか懐かしい心持ちになった。

 


かんたんな作品紹介

 

アニメ版プラネテス、ストーリーの大筋は、

 

2070年代の宇宙を舞台として、

デブリ(宇宙ゴミ)の回収屋に務めるハチマキ(星野八郎太)の宇宙飛行士としての人生を描いたものだ。

アニメでは新人宇宙飛行士である、タナベという女性が入社する所から物語が始まる。

更に、そのデブリ屋である会社の設定を掘り下げ、キャラを増やして人間関係や社会・政治問題等を複雑に盛り込み、漫画とは別の展開を迎える。

 

 

今回見たアニメ7話は、

足を骨折し月面病院に入院したハチマキが、

ノノというルナリアンの少女と出会い交流する展開を描いている。

漫画でも同じ話はあった気がするが、

アニメでは、ノノがやたら可愛く描かれている。

声は こおろぎさとみ さんなので最強である。




アニメの見どころ

 

以下、懐かしいアニメに思いを馳せながらネタバレで書きますのでご理解ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

たしか漫画には出ていないと記憶しているだが、

 

アニメでは、ローランドというベテラン宇宙飛行士もハチマキと一緒に入院している設定となっている。

最初はハチマキの隣のベッドにローランドが入床しており、

事あるごとに講釈を垂れてくるうざいキャラなのだが、

それは、これから仕事も心も宇宙飛行士となっていくハチマキへの布石にもなっている。

 

特にこの物語では、様々な見どころがあるので少し詳しく説明してみる。

 

①宇宙への価値観の対比

 

ベテラン宇宙飛行士であるローランドは、生粋のアストロノーツであり宇宙を愛している。

だが、宇宙白血病に見舞われ、余命は幾ばくもない。

最終的には、宇宙服を着て月面を徘徊し、たまたまそれを見つけたハチマキたちに看取られながら死んでしまう。

彼は宇宙を愛し、いつまでも現役として活躍する為に努力を怠らなかったが、

 

皮肉にも、その愛の深さの分だけ宇宙に長居した彼の体は「宇宙白血病」になってしまった。

 

余命が少ない事を知った彼は宇宙との心中を選び、

「これでやっとお前の一部になれる」と言い残してこの世を去るのである。

 

 

対して、月面に住む少女ノノである。

彼女を最初に見たハチマキは、地球を月面病院の窓越しに簡易型の望遠カメラで撮っている姿に興味を持つ。

アニメでは、タナベと対比にする為に、相当可愛く描いてもいるし、

ハチマキがノノを初めて見た時に、「ちょっといい女見つけた」みたいな表情で描いているところがニクイ。

彼女は、物語の後半で12歳だと判明するのだが、

それは彼女が、まだこの世界に4人しかいないルナリアン(月で出生した人間)であることを語った時である。

ルナリアンは、6分の1重力下で育っている為、高身長になりがちだが、逆説的に言えば地球の重力に耐えることができない仕様になるという事でもある。

更に、6分の1重力下で育っているため、生まれつき心肺能力が低く、体も脆い。

 

つまり、この漫画の時代設定中ですら

彼女が地球に降り立つことは科学的に不可能な状況であるのだ。

 

物語の終盤ハチマキはノノに遠慮なく質問する。

「両親を恨んだりしてないのか?」

それは、ノノが何度もハチマキに

地球の海に行ってみたい、と発言していたのも起因していると思う。

 

それに対し、

ううん、地球はあくまで行ってみたいところで住みたいところじゃない」

ときっぱりと言い切るのだ。

 

 

体を鍛えに鍛えて宇宙に赴き、やがて病気になり命を落とす人間と、

宇宙で生きる事を常識として、身体が弱いという事実を受け入れて生活している人間を対比で描いている。

それは、宇宙に生きる事の意味をハチマキに痛烈に考えさせるのだが、

この面白い所は、二人のキャラが物語的には「呪い」「祝福」の位置付けとして描かれるのだが、

 

宇宙飛行士として宇宙で生き続ける、という価値観で見ると

どちらも「呪い」になってしまうのだ。

 

宇宙空間にて仕事すると言うことは、宇宙白血病などの病気、

または単純に宇宙に出ること自体が命の危険を伴うリスクの高い仕事だと言うこと。

そして、万一それらを運良くクリアして生きても、誰かを愛し宇宙で子供を産んだ場合、身体が脆く育ってしまうという事実。

つまり、親は子供を地球に連れていけない不可逆的な事実が発生するのだ。

 

読者である我々に対しても、そんなリスクを抱えて宇宙に行く意味ってあるのか?と無意識下に恐怖や不安を発生させるアンチテーゼ的な内容にもなっている。

 

 

②前話との対比

 

この7話の全体的な「呪い」

おそらく6話でのコメディタッチなアニメオリジナル回を「祝福」として描いている部分もある。

 

 

ハチマキが月面ビルにてお見合いをするのだが、そこで火災が発生する。

そこでタナベが引っ越したアパートに住んでいる忍者趣味の愉快な仲間たちが『6分の1G忍法』でハチマキとお見合い相手を助ける、という話である。

シンプルに言うと、雑で簡易的なパラシュートを作って火災のビルから飛び降りたら

重力が軽いから死なずに骨折だけで済んだ。という落ちである。

 

つまり、6話が月面重力の『祝福』であり

7話のルナリアンの生体が月面重力の『呪い』である。

 

③恋愛の対比

 

これは、先程とは違った角度の対比なのだが、

 

漫画ではそこまで表面的に描いてなかったタナベの恋愛感情の進展を

アニメではこれでもかというぐらい露骨に描いている。

 

 

具体的に言えば、

7話の時点で既にタナベハチマキに気がある、と言う演技をしているのだ。

そこで、いいタイミングでノノである。

彼女は背が高いのでパット見、とても12歳には見えない。

というかモデル体型の無邪気な美少女にしか見えない。

 

ノノは漫画で特に美人には描かれていないかったのに(当時の作者の画力の問題かも知れないけど)、

アニメではとびきり可愛く描かれている

これは、タナベの恋愛感情の起伏を表現する為に間違いなく意識して描かれている。

 

 

確かに、漫画では愛はあったが恋が見えなかった。

でも、まあ漫画にはシンプルで骨太の物語があったから、最後にタナベと結婚するのは自然な流れで読めてしまった。

 

だが、もっと広く幼い年齢層にも楽しんで貰うにはわかりやすい恋の要素が必要なのかも知れない。

アニメはそもそも全体的なシナリオも後半違うし。

そういった配慮、というかライトさを描くためにこの回はうまく機能していた。

 

お見舞いに来たタナベが、ハチマキと楽しくUNOをしているノノを怪訝な表情で見たり。

無邪気にUNOに誘うノノと、タナベの恋愛感情にまったく気づかないハチマキ。

三者三様で面白い。

戸惑うタナベは、「このあと、用事があるから」とノノの誘いを断る。

 

更にダメ押しの脚本で、

タナベは友達を誘ってアポロ公園(おそらく、月面ターミナルの中にあるアポロ計画関係の展示物がある施設)を観光するのだが、

そこで

「アポロ11号のレプリカをバックに写真を撮ってくれませんか?」

と頼んでくるカップルにハチマキとノノを重ねてしまう。

しかも、そのカップルはアポロ11号のイラストの入ったペアルックのまで着ている。

 

それを見て、タナベは「しょうがないなあ」という表情で少し笑うのだが、

 

「ここからだと、アポロ11号は大きすぎで写りません。

あ、ほらイーグルだったら写りますよ」

とタナベは案内を始めるのだ。

その間、タナベの顔は描かれなった。

そういう演出をしている。

おそらく、少し距離を取れば、アポロ11号をバックに写真を撮れるのだが…笑

 

こんな露骨に恋愛感情描かなきゃいけないのか、というぐらいある。

 

 

④海の対比

 

ハチマキは、ノノに「地球の話をして」とせがまれ

自身の故郷の九十九里の海の話をするのである。

アニメエンディングで、流れているあの海である。

 

当然、ノノはその海に行くことはできないのだが、

7話の終盤で、ノノは宇宙服をこっそり着て

ハチマキと一緒に月面に降り立つ。

そこでハチマキに、自分の海はここだ、と楽しそうにはしゃぐのである。

 

ハチマキは独白で、残念ながらそこは俺にとってただの砂漠にしか見えない。

と言うのだが、

同時に、ハチマキにとっては九十九里の海も、ただの水たまりにしか見えていなかったのだろう。

とはいえ、ノノが遊ぶその砂漠の海は、

かつてのアポロ計画にて2人の宇宙飛行士が降り立った人類念願の月面でもあるのだ。

 

 

 

まとめ

 

いや、個人的には ノノちゃんが可愛い。

それにつきますね。

大きなお友だちにも嬉しいノノの水着イメージ映像という、

半分ロリ趣味?にもなり得る大サービスもしているし。

 

本当、この回は眼福耳福の回ですわな。ガハハハ 笑

 

まあ、しかし、これ見ると全話見たくなりますね 笑

 

いや、いやらしい意味じゃなくて 汗

 

本当に当時の感覚を思い出しますよ、ええ。

 


 

 

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