今話題の板垣巴留『BEASTARS』(ビースターズ)!ヤバいぐらい感動したセリフベスト5!!

週刊少年チャンピオン(秋田書店刊)にて連載されていた

板垣巴留の『BEASTARS』(ビースターズ)読みました!

 

 


 

この作品の主軸となるストーリーは、

全編を通して主人公であるハイイロオオカミの『レゴシ』

ドワーフウサギ『ハル』の様々なドラマと通しての異種族恋愛である。

 

連載初期から注目していたのは、その設定よりも

胸の奥から掬い上げて来たような、登場人物たちの繊細な心理描写である。

 

全編は、

『演劇部篇』1~2巻

『隕石祭篇』3~6巻

『喰殺事件篇』7~11巻

『種間関係篇』12巻~最終巻

の4部に分けられているが、

 

その中の『演劇部篇』より

セリフのベスト5を厳選してご紹介しよう。

 

演劇部篇のセリフベスト5!




ドワーフウサギのハルが、見ず知らずの肉食動物に食べられそうになった時のセリフ

 

ただ最後に

私のこのしょうもない人生でも

逃げる意味…とか

怖くて泣きたい とか

そういうの ちゃんとあったってこと

あなた…

分かってくれる?

 

1巻137貝より

 

 

これは、ハルが見ず知らずの肉食獣(レゴシであるのだが)から食い殺されそうになった時のセリフである。

 

恐怖の極限状態になった時、

ハルは「自分の人生なんかくれてやる」とは言いつつも、その中でも迫りゆく死の中で様々な感情が溢れかえっている事自覚している。

 

そして、その感情を読者に対して問いかけるのだ。

 

それは、読者からすれば、

漫画のキャラが1匹死ぬだけの話だ。

 

しかし、そこの些細な事実としての

『いきなり見ず知らずの誰かに命を奪われるという事はどういう事か』

を改めて思い出させてくれる。

 

私達が、例えば朝食中にテレビのニュースで悲惨事件を目にしても、

「ああ、そうなんだ。かなしいなあ」と感想を浮かべつつ、

5分後にはその事件があった事もすっかり忘れて自分の生活を行っていく。

 

そして、思い起こす事もない様々な自分以外の人々を『モブ』として片付けていく。

 

ハルは、

週間マンガ誌のキャラとという我々読者の実生活に置いての『モブ』であるのだが、

それと同時に、少年漫画『BEASTARS』(ビースターズ)のヒロインという読者の共感を得る『身近な存在』でもある。

 

1匹のキャラの独白が

対局した2つの視点を持つ意味を与える

構造的にも非常に良くできたシーンである。

 

 

演劇部の部長であるアカ鹿のルイが練習中に、悪役を演じる黒豹に言い放つセリフ

 

本気で来い

シカの俺がアドラーを演じること…

肉食のお前達が俺を本気で襲ってくること

そのすべての意味を舞台で示すんだ

今回はことさら強くな

 

1巻179~180貝より

 

今回はことさら強く、というのはこの動物たちが学生生活をしているチェリートン学園の中で喰殺事件(肉食獣が草食獣を食べ殺す犯罪)が起こったからである。

 

本来は狩られる立場である草食獣のアカ鹿が、

舞台の主役であり命を狩る側でもある死神(アドラー)という大役を実力で勝ち取った。

それが、ルイである。

彼は、草食の尊厳を強く主張する時と場であると考えた。

死神の立場から見れば、肉食であれ草食であれ命は平等であるもの。

しかし、この草食肉食が共生するというこの世界では、被食者側・捕食者側という決して覆す事のできない身体的特性が存在する。

 

それも全部踏まえて、

草食動物に生まれたからと言って、黙って命を奪われる根拠になってたまるものか!という強いメッセージをルイは発しているのだ。

 

それは、物語を読み進めていくと、ルイ自身のアイデンティティーに深く重なるものにもなっている。

なぜ、ルイが物語の最初にアドラーを演じなければならなかったのか?

それは、この漫画の最終巻にまで帰結するテーマである。

 

 

主人公レゴシがハルに好意を抱いた事に、初めて自覚した時のセリフ

 

 

この気持ちの名前ってなんだ?

少し自分が見えかかったような

明るみに出られたような

前に歩けるような…

ふくらはぎに風を感じる…

何年ぶりだ

ふくらはぎ?

…ああ

そうなんだ

俺は嬉しいのか…

 

2巻44~46貝より

 

これも、よくできたセリフである。

このちょっと前に

 

暗闇に紛れているだけの怪物じゃなく

哺乳類で…

肉食獣で…

イヌ科で…

そして

1匹のオスオオカミ

2巻43頁より

 

というセリフからつながっているのだが、

レゴシ自身が改めて自己認識を再形成する瞬間なのだ。

 

 

暗闇に紛れるような今までの生き方をしていた自分が実は、

哺乳類という交配する為にツガイを作る動物類であり(この世界には海洋類がいる)

肉食獣という草食から見れば、自分の意図に反して恐怖を感じさせてしまうような身体を持っており

イヌ科という更に細かな行動習性を持った種族であり

そしてツガイを求めるただの雄であると言う事に気づく。

 

レゴシはある種、ステレオタイプに自分を被虐して見ていた。

それは中2病のような浅はかさで、

周りから見た実際の自分はどういう存在なのか?まで目が行かないような独断的主観だった。

 

それが、この恋愛感情の始まりによって動き出すのである。

第1話からの成長の転機がここで見られる回だ。

 

更に漫画的に面白い表現としてのオチが、

レゴシが自分の感情を、

無意識に自分がシッポを振っている事で理解するという点であり

しかもそれを「ふくらはぎに風を感じる」と表現している。

 

我々は人間であるのでシッポは無い。

無いんだけど、理解できる。

この漫画の世界観をリアリティを持って満喫させる詩的表現をしている事だ。

なぜ、動物を擬人化したキャラの付加価値を、ふんだんに描いている。

なんとも高度な高度なことを少年誌でやってのける。

板垣巴留、恐るべき。といったセリフである。

 

 

ルイがレゴシに喧嘩をふっかけた時のセリフ

 

 

コソコソしやがって

お前みたいな大型肉食獣が一番癪に障るよ

スカしてないで

たまには本気で挑んでこいよ

噛んでみろレゴシ!!

俺を噛め!!

 

2巻84.85頁より

 

ここは、セリフというより、シーンに高密度な情報が内在されている。

 

レゴシはハイイロオオカミと言う種族であり、背丈から見ても分かる通り大型肉食獣なのだ。

だが、自分を弱く見せて様々な事態を事なかれとするクセがある。

そこにルイは腹がたったのだ。

草食であるルイが事なかれとしようとするならば、幼少期に死が訪れていたからである。

それを足掻いて足掻いて生存の権利と尊厳を勝ち取って来たルイにはレゴシの価値観が傲慢に見えて仕方がない。

 

俺を噛めと言って、ルイは左手を無理やりレゴシの口の中に入れると、

初めて近くでまじまじと見る犬型肉食獣の牙に自分の姿が映る。

 

(この世界観において代表される肉食獣を

大雑把にイヌ科とネコ科わけると、

イヌ科の武器は牙(顎)であり、

ネコ科の武器は爪(腕力)であるらしい。

つまり、イヌ科の牙は食われる事の象徴であると思われる)

 

ルイは状況的に捕食される寸前の自分の顔を見てしまう。

そこにはどんな表情が映っていたのか?

周りの風景を映すほど美しい牙は、円錐形で屈曲しているので読者にはルイのはっきりとした表情は覗えない。

 

ただ、それを見たルイは一瞬、ふとした顔を見せる。

 

肉食獣が不意に近づくと、

草食獣であるルイは無意識かつ瞬間的に警戒してしまう。

それは生存本能なのだが、レゴシの牙が自分の腕に食い込んでいう今この瞬間、自分が恐れを抱いていない顔をしている事に気づいたのだろう。

それが、潜在的に自分がもっている強さなのか?

それとも、本音を見せた相手が『レゴシ』だったからなのか?

 

 

逡巡した瞬間、大型肉食獣であるレゴシに

「はなせ!!」と腕を振りほどかれる。

そして、うずくまるように背中を見せるレゴシ。

 

ルイが、自分の感情とレゴシという不可解な存在の行動に戸惑っていると、

レゴシの言葉から、自分が最も草食獣たちに伝えたかった事の真髄を理解している事を知る。

だからこそ、最後にアドラーの仮面を見ながら

「君には言われたくなかったね」とボヤいてしまうのだ。

アドラーという強さの象徴である舞台装置すらいらない大型肉食獣に、

一生理解を拒まれると思っていた自分の理想の社会観が肯定されてしまったからだ。

被食者側として生まれたものが社会で示さなければならない強さの意味を、こうも簡単に理解されてしまったからだ。

 

 

 

ビルが代役アドラーに任命され、レゴシと舞台稽古をしている時のセリフ

 

 

なあレゴシ…俺たち肉食が脚光を浴びちゃいけない理由なんてないはずだろ

明日 俺は…やっとみんなに見せられるんだ

強い奴が強いまま生きればどんなに輝けるかって事を!!

 

2巻122、123頁

 

 

今までの流れを全否定したこのセリフである。

しかし、ここで唐突に理解しなければならない事は、

レゴシだけではなくすべての肉食は草食に対して気を遣って生活しているということだ。

演劇でのアクションシーンであるならば、草食が傷つかないように『全力を出さないように全力に見える演技』をしなければならない。

持って生まれた肉食であるという体の個性を没して生きていなければならなかった肉食獣の代弁である。

そう、肉食獣は身体そのものが強いのだ。

だから、鬼のような練習をして疲労骨折をしてしまうような事もない。

ルイは草食として知的動物の形成する秩序社会で、

強い志をもち命の平等性を訴えている。

 

しかし、命は平等でも、フィジカルは公平ではない。

この舞台稽古のシーンは、その事実を一足飛びして表しているのだ。

命の平等性も肉食の暴力の前では無力に近い、と。

 

 

だが、この肉食獣ビルはこの後、

アドラーという主役を演じる重圧から逃れる為、

『草食獣の血を飲む』というドーピング行為をしてしまう…。

強いんだか、弱いんだか。

 

肉食獣が肉食獣のまま『生きる輝き』は結局、

心の弱さで、意図するものとは違う残念なものになってしまうのである。

 

 

『演劇部篇』アニメでは1期の1~4話まで

 

 

アニメでは、より丁寧に描写が描かれてる。

絵柄は3DCGアニメーションであり、演出にも少々クセがあるが、

丁寧に心理描写が描かれており、見やすい作りになっていると思われる。

漫画とは違い、声がついている分、

より感情移入しやすい

…かもしれない。

 

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