鬼滅の刃のカップリングは作者の中では【富岡義勇×胡蝶しのぶ】より【胡蝶しのぶ×竈門炭治郎】じゃないのか?という話

 

 

こんばんは、カワハギです。

私は、この鬼滅の刃という漫画を一通り読み終えて、

「あれ?これ、最終的には

炭治郎とカナヲが結ばれてるっぽいけど、

しのぶと炭治郎の裏設定カップリングありえるんじゃね?」

と感じた話をします。

言っときますが、ただの個人の妄想です。

 

そもそも、【しのぶ×富岡義勇】じゃないの?

 

しのぶと炭治郎がカップリングじゃないかと言いつつも

しのぶはネット界隈では、富岡義勇とカップリング相手となっております。

その理由としては、

那谷蜘蛛山で2人が任務同行した際に、

しのぶが義勇に「月が綺麗ですね」と話しかけていたから

と言うのが主な理由だそうです。

 

この「月が綺麗ですね」という言葉は、

かの文豪、夏目漱石が英語教師をしていた際に

I love youを「我君を愛す」と訳した生徒に対し、

日本人はそんな図々しい事言わないから「月が綺麗ですね」とでも訳しておけ、

と言ったのが由来です。

つまり、「月が綺麗ですね」=愛の告白 という隠喩で使われる場合があります。





 

本当に、愛の告白だったのか?

 

この「月が綺麗ですね」というセリフ。

実は、姉蜘蛛に対しても同様のセリフを言っています。

義勇に対し特別に言った言葉ではありません。

この事実を元に推測するに、

「月が綺麗ですね」とは、

告白のニュアンスではなく、

「今日は天気が良いですね」とか「雨が降ってきそうですね」とか言う

会話の導入としての天気の話に近いと思われます。

つまり会話の入り口として天気の話をしている。

そう解釈すると、逆に皮肉表現として感じられます。

 

 

これは後の作中で語られる事ですが

胡蝶しのぶは、カナエの「鬼と仲良く」という夢を叶えるため、

常に姉を模したリアクションを徹底して、

すべての生活をしている事が伺えます。

 

しのぶは姉蜘蛛に対して、会話を試みようとしていました。

それは、「鬼と仲良く」という思想が念頭にある為です。

 

しかし、それは本心からではなく、

本来のしのぶの心には

「会話など成り立つものか」という猜疑心と嫌悪感が根底にあります。

 

会話にならないとわかっていながら会話をしようとする事で、

皮肉めいた言葉で喋ってしまうのです。

 

おそらく義勇に対しても同じで、

付き合い上、口下手で無愛想で感情が理解しずらい性格とわかっているので、

その「会話の成り立たなさ」に苛立ちを感じ

鬼と同じニュアンスで「月が綺麗ですね」と言ったのではないでしょうか。

 

 

胡蝶しのぶの本来の性格

 

カナヲの過去エピソードの話では、しのぶの元々の性格が伺えます。

金を撒き散らしてカナヲを買い取ったシーンでは、

直情的で喧嘩っ早い

カナヲに対して「自分で考えて行動できない」事を嘆くシーンで、

目先の不安要素や問題意識に目が行きやすい

という性格が見受けられます。

 

童磨戦では、姉の話し方を模す事は一切ありませんでした。

これは、一見仇である童磨に対して怒りの感情が抑えきれなくなって口調が変わっていると考えがちですが、

姉の仇である童磨に対し「仲良く」するつもりは毛頭ない、

普段隠されているしのぶ本来の感情表現だったと解釈できます。

 

 

童磨が消滅する際、しのぶに恋慕を感じ地獄行きを誘うシーンで

しのぶは笑顔で「とっととくたばれ糞野郎」と罵っていますが、

これが、カナエを模した言葉だったならば

「お誘い頂いてとても残念なのですが、あなたとは一緒には行くことはできません。地獄の拷問を独りで心ゆくまで楽しんでください」

みたいな言葉を話したと予想されます。

 

 

物語に隠された【たん×しの】のヤバい秘密

 

 

私は漫画を読んでいて、不可解だったのが、炭治郎と夜にしのぶと二人で話すシーンです。

 

なぜ、炭治郎は夜に屋根の上で全集中の鍛錬をしていたのか?

道場の中でも、縁側でも良かったはずです。

 

 

これは、作者が意図的に「夜」を演出したかったのだと思います。

そして、しのぶが炭治郎と会話をしに来るのですが、

その際は、「月が綺麗ですね」とは言わないんです。

至近距離まで顔を近づけて、

目を真正面から見つめて、

「頑張ってますね」と話すんです。

 

これは、明らかに「君の努力をよく見ています」という意図のある言葉です。

 

そして、炭治郎に「怒っている感情」を嗅ぎ当てられたしのぶは、

自分の姉が鬼に惨殺されたこと

自分が姉の夢(思想)を受け継いだこと、

そして、最近その姉の夢を叶える努力をする事に疲れてきたという話を聞かせます。

死に時を感じていた、もしくは定めようとしていたのかも知れません。

 

ストーリーで考えると、

姉に似た心優しい男の子が頑張っているので励ましにきたら逆に励まされた。みたいな自然な流れなんですが、

 

構造で考えると、

夜に女の子が男の子に逢いに行き → 逢引の隠喩

ふたり近距離で見つめ合った後に → キスの隠喩

自分の夢を異性に託し(自分の一部を相手に移す、委ねる) → 営みの隠喩

本心を言い当てられて思いの丈をうちあける → ピロートーク

 

 

これ、完全に夜の男女関係のやり取りなんですね。

ただ、男女逆にも読み取れます。

鬼に対しての考え方と感受性が真反対で、対比構造の2人が会話をする大事なシーンです。

炭治郎は、自分を殺そうとした鬼にまで同情してしまうほど母性が強烈に強い

逆にしのぶは、鬼に同情して仲良くなるフリをし続けるけど憎しみが隠しきれない

どちらかといえば、炭治郎が女役でしのぶが男役の立ち位置です。

 

『男は思想を残し、女は子供を残す』と格言がありましたが

それに準じて考えれば、しのぶは炭治郎に思想(夢)を残して死んでいったのですね。

 

最終話での竈門家の子孫は、カナタと炭彦という2人の兄弟でが、

私は最終話で、炭彦は広義での鬼と人間の子孫という位置づけに感じたので、

炭治郎はしのぶの夢を受け継ぎ、きちんと最終話で(仲良く)し、後世に残しています。

 

 

胡蝶しのぶは、『フラストレーションの塊』

 

 

なぜ、しのぶは炭治郎から「怒ってますか」と聞かれて

一瞬ハッとした顔をしたのか?

 

あれは、周囲の人間にはもちろんの事、自分自身に対してまで「鬼と仲良く」と言い聞かせて心に蓋を閉じていた「怒り」の感情を、

しのぶ自身が自覚したから驚いているんですね。

「ああ、自分は怒っているんだ」と。

フラストレーションの正体は怒りなんだと。

 

 

あれは、しのぶの為のシーンです。

あの炭治郎の指摘がなければ、もしかしたら童磨戦のラストでまた違った結末になっていたのかも知れません。

 

 

 

 

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